前々から、「時間に関する話」、「時間泥棒が出てくる話」ということで気になっていたモモを読んだ。以下感想
うつ療養中に読む本としてはすごくおススメです!
① 最後のほうに出てくる「致死的退屈症」という病気は完全に「うつ」のことだと感じた(びっくりするくらいうつの症状と同じ)。
→自分の今の症状もある意味退屈で置き換えられるのでは??と感じた
② 「時間を節約」することで、時間に追われてどんどん生活が貧しくなっている様子は、現代社会の状況と一致していると感じた。1970年代の作品ですが、当時から同じような状況があったのだろうか。
③ 時間貧乏症の自分としては、身につまされる言葉や、胸に刺さる言葉がたくさんあった。
以下心に残った言葉
ベッポの考えでは、世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。
いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひと掃きのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。
これがだいじなんだ。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心の住みかとしているのです。
人間が時間を節約するほど、生活はやせほそっていくのです。
人間には時間を感じとるために心というものがある。
致死的退屈症=うつ病??
はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、何もする気がしなくなってしまう。なにについても関心がなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、集をかさねるごとに、ひどくなる。気分はますますゆううつになり、心のなかはますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世のなかに対しても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世のなかはすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くことも忘れてしまう。そうなると心のなかはひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そう、こうなったら灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。